美しい生活道具。古くて新しい、
「遊山箱」のある暮らし [第1回]

美しい生活道具。古くて新しい、 「遊山箱」のある暮らし [第1回]

ラシクルでは徳島の伝統工芸品のひとつ、「遊山箱」に着目しました。かつては徳島の子どもたちになじみ深いものだったようです。現在では目にする機会も少なくなった遊山箱を、再び私たちの手元に戻したい、日々の暮らしの中で活用したい。そんな願いを込めて、遊山箱をシリーズでご紹介していきます。第1回目は、遊山箱の歴史とその文化を伝える人に迫ります。



第1回
小さな遊山箱と魅せられた人を訪ねて


名前は知っているけれど

「遊山箱?」「あのきれいな重箱みたいなもの?」「見たことはあるけれど……」。

私の周りには遊山箱のことを詳しく語れる人がいません。私自身もその存在を知ったのは大人になってから。どこかで展示されているのを見て、美しい小箱だなあと思ったものの、それが何なのか、どう使われていたのか、詳しく知る機会もなく、また調べようとすることもなく年を重ねてきました。

でも、今回、遊山箱を改めて手にして眺めてみたとき、その佇まいはなんとも不思議。意外と違和感がないのです。時代を超えた魅力を感じ、引き寄せられました。


カタカタと遊山箱を揺らして

「遊山(ゆさん)」。今ではあまり耳にしなくなった言葉です。『広辞苑 第七版』(新村出編/岩波書店、2018年)によると、「山野に遊びに出ること」。「遊山箱」の項目もあり、「(徳島県で)遊山のときに弁当などを入れて携帯する箱。多く、三段の小箱を収め、取っ手のついたもの」と記されています。

また、古い文献に遊山箱、及び遊山に関する手がかりを見つけました。

ひとつは、大正の終わりから昭和の初め頃の徳島県の食生活について書かれた本、『聞き書 徳島の食事』(「日本の食生活全集 徳島」編集委員会代表立石 一編/農山漁村文化協会、1990年)。「徳島・町場の暮らしと食べ物」の章内に、「市民は旧3月3日の桃の節句を中心に桜の花見に一度は眉山に遊ぶ。町の子どもは1個ずつ遊山弁当箱を持っている。四方四寸(一辺が約12センチ程度)くらいの小さな重箱で、赤青黄に塗り分けたものが三重ね、塗りものの木箱に入り、手さげがつく」とあります。

もうひとつは、徳島県下の伝統的な生活文化をまとめた『日本の民俗36 徳島』(金沢治著/第一法規出版、1974年)。春・夏の行事に関する記述の中に、「シカノアクニチ」とあり、「3月節供の行事として徳島県に特異なものは、旧3月4日をシカノアクニチといって休養することである。家では別に何もしないでただ仕事を休むだけであるが、季節がよいので前日のご馳走をもってお節供のウラツケをして野山へ遊山する位のことはある。なぜシカノアクニチというかはわからない」と出てきます。

旧暦の桃の節句の頃を今の新暦に置き換えると、およそ1か月遅れの4月の上旬から中旬頃。「月遅れ」(旧暦での行事を新暦の同じ日にせずに1か月遅らせてすること)で行事を行う場合も多かったことを考えると、4月3日を中心に、一部地域を除く、県内広い地域の子どもたちは遊山箱を手に駆け回って遊んでいたようです。

このように、かつて徳島では、子どもたちだけで“遊山する”特別な1日がありました。そして、その日だけ持たせてくれたお弁当箱が「遊山箱」だったのです。特別な春の日にしか持てない、特別なお弁当箱でした。

▲小ぶりながらも三段にごちそうを詰めると子どもには十分なサイズ。

遊山箱は親が買い与えたり、兄弟や知り合いから譲り受けたりして誰もが持っていたものでした。普段は仕舞われていましたが、遊山の日だけ持ち出されます。そこにはこの日だけのごちそうがすき間なく詰められました。ごちそうの内容は各家庭で多少異なりますが、上段にはういろうや赤や緑に色づけした甘い寒天、中段にはお煮しめやゆで卵、下段には巻きずしが一般的だったようです。もちろん、すべてお母さんの手作り。

▲昔の一般的なごちそうの内容。下段に巻きずし、中段にお煮しめ、上段に寒天、ういろう。(写真提供:島内陽子)

お腹が空いたら友だちと遊山箱を開け、お腹がはちきれそうになるほどごちそうを頬張り、そして日が西に傾くまで友の背中を追いかけます。色とりどりの遊山箱を手に揺らしながら、春のキラキラした光の中に溶け入る子どもたちの姿。

しかし、この豊かな風習は生活スタイルの変化などを背景に、昭和の終わり頃には途絶えてしまいました。


ユーチューブでひとりでも多くの人に

もったいない、遊山箱の文化をつないでいきたい――。

そんな思いから、いわば遊山箱の語り部として精力的に活動されている人たちがいます。遊山箱を作り続ける職人、売るお店、その魅力を発信する人……。

その中の一人が、テーブルコーディネーターの島内陽子さん。「遊山箱文化保存協会」を立ち上げ、自治体や文化施設との共同イベント、そして新聞連載などで遊山箱文化を発信する立役者です。

「私自身は遊山の経験がないのですが、母からはよく遊山箱の話を聞いていました。そんな思い出があることがうらやましかったですね。仕事柄、食は文化だと捉えているんですが、遊山箱もまさにそう。だから遊山箱はもちろん、その背景にあった豊かな文化を残していきたいという思いでいました。テーブルコーディネートのレッスンの中で20年間遊山箱を使ったり、さまざまなイベントを手がけたりしていたんですが、私ひとりの活動では限界がある、もう少しいろんな方と一緒に取り組みたいと思い立ち、2017年の年末に協会を立ち上げました」。

▲「遊山箱文化保存協会」理事を務める島内陽子さん。1999年よりテーブルコーディネートスタジオ「ON THE TABLE」を主宰。(写真提供:島内陽子)
▲遊山箱を使ったテーブルコーディネートレッスン。(写真提供:島内陽子)

協会員はホテルや和菓子屋さんから個人の方まで、現時点(2021年)で40組ほど。横のつながりを生かして活動の幅を広げています。

2020年にはユーチューブチャンネルを開設。遊山箱の文化を記録として残し、後世に伝える活動にも力を注いでいます。

「遊山を体験したことのある約80名の方に話を聞きました。遊山した場所や遊び方、食べものに地域性があることがわかったので、地域ごとに内容を整理してひとつのストーリーにまとめたものをユーチューブにアップしています。一人でも多くの人に遊山箱のことを知ってもらいたいし、経験したことのある人には懐かしんでもらえたら」。

ユーチューブを拝見すると、身近にある山や川、海岸に行ったり、ひな人形の前で遊山箱を広げたり、集落を回ったり。遊山のスタイルは地域によってさまざまだとわかります。 「ユーチューブなら遊山箱のことを知りたいと思ったときに、誰でも、どこでも、いつでも見てもらえます。これからも聞き取りを続けてコンテンツをより充実させたいと思っているんです」。


高校生ら若い世代にもつなぎたい

もうひとつ、保存協会の目を引く取り組みが現役の高校生を巻き込んだ遊山箱の絵付けの復刻プロジェクトです。収集家の方に古い時代の遊山箱を借りて、県内の高校の美術部員が筆を握り、新たな遊山箱に当時の貴重な絵柄を蘇らせました。

「遊山箱を知らなかったけれど、絵付けをすることができて楽しかった」「料理を詰めて河川敷で食べてみたい」と絵付けに取り組んだ高校生らが遊山箱に興味を持ってくれたことが本当にうれしかったと言います。

「ほかの高校の美術部からも問い合わせがありました。やがては料理をするクラブともご縁ができれば、高校生たちが絵付けをして料理も作って、そしてその遊山箱を持って好きな場所で遊山をしてもらえたら。若い世代に遊山箱が広がれば、それほど心強いことはないですよね」。

▲昔の絵柄を手本に遊山箱に絵付けをする高校の美術部員たち。(写真提供:島内陽子)
▲古い遊山箱(右)と美術部員が絵付けをほどこし復刻させた遊山箱(左)。(写真提供:島内陽子)


「4月3日は遊山の日」を定着させたい

 今後の活動目標をお伺いすると、
「かつて遊山の日だった4月3日。毎年この日に遊山箱を使う機会を設け、この行事を再び定着させたいと思っています。そして、ゆくゆくは徳島のあちこちで遊山箱を広げる風景を作っていけたら。徳島にしかないこの素敵な文化を残すお手伝いをすることが使命だと思っています」。

 イベント、ユーチューブ、高校の部活動との交流など……。協会発足から全力疾走で幅広い世代に、そしてより遠くまで遊山箱の魅力を届けようと多彩なアプローチで発信し続けています。終始、「楽しいことが好きなだけ」となんでもないような口ぶりで語る島内さん。その傍らにも趣の異なるとりどりの遊山箱が並んでいました。


<取材協力>
遊山箱文化保存協会
TEL 088-625-3099
https://yusan-bako.info/
https://www.youtube.com/channel/UCjOjQ0gblVDGGRAgqXnN_yw(YouTubeチャンネル)
 

<撮影協力>
山口木工
TEL 088-642-9020
 


山口木工の商品は、Lacycle mallでお買い求めになれます。

ひのき遊山箱(桜柄)
遊山箱(ゆさんばこ)は徳島県独特の文化で、お出かけや雛まつりなどの特別な行事の時に、子どもたちが使う3段重ねの木製お弁当箱です。