今日は、どこから見てみましょうか。
夫と私の関係性。 3月に入って早々、息子がインフルエンザにかかった。学年閉鎖になるまで広がった感染症は、私にも容赦無く襲いかかる。高熱と関節痛に耐え…
カフェの庭で育ったあんずとびわが、収穫の時期を迎えた。数年前まで数えるほどしか実をつけなくて、美味しいとは言えないものだった。それでも台風や大雨に耐え、時には根から倒れたこともあった木々たちが、10年経って立派に実をつけたのだからたくましい。
2週間ほど前のよく晴れた日、カフェスタッフや息子と一緒に収穫した。あんずは1つの木から25kgもの実がとれた。「ぼく500個とったよ!」と、息子はみんなに自慢していた。
カフェを始めて以来、一番の収穫量。一つ一つが愛おしい。
毎日地道にスタッフたちが丁寧に拭いて半分はシロップ漬けにし、もう半分は実をコンポートに、そして取り出した固い種を砕いて仁を出し、これから”本物の杏仁豆腐“を作ろうと計画中である。
それだけ採ってもとりきれないほど、まだ木にはあんずが残っている。全部とってしまいたい気持ちを抑えて、地元の先輩たちの言葉を思い出す。
「みな(全部)はとられん。上の3分の1は鳥やらに置いといたり」。
そりゃそうだ。私たちは確かにカフェに木を植えたが、肥料をやったり剪定したりすることはほとんどなかった(したほうが良いのだろうけれど)。ほとんど自然が育ててくれた。水をやり、太陽を浴びせて栄養をやってくれた。その実りを、自分たちだけで独り占めするのは申し訳ない。
別の日、私と息子はブルーベリーマフィンと、いちごのジャムを作ることにした。ブルーベリーもあんずやびわと同じく、旬の果物。私が村上春樹の新刊(『街とその不確かな壁』)を読んで、どうしても作りたくなったのがきっかけだった。
旬を終えつつあるいちごは、ジャム用に不揃いな形のいちごがたくさん入って、産直市やスーパーで格安で販売されている。青と赤のコンビネーションも美しく、レシピを見ながら生地を作り、ブルーベリーを好きなだけ混ぜてマフィンを焼いた。いちごは煮詰めて冷めるのを待ち、翌日にはジャムパンとして朝食に登場した。
マフィンは生地がやわらかすぎたり、焦げちゃったりしたけれど、息子は膨らむ様子を見て楽しんでいた。「これ、父の日のプレゼントにしよう!」という話になり、出来上がったマフィンを箱に詰め、花と手紙を添えて父の日プレゼントとなったのだった。
“成り年”という言葉があるが、今年のカフェは間違いなくその年のようだ。ということは、来年は“裏年”? 来年は全く収穫できないかもしれないが、自然のリズムのままに。今年はありがたくいただきたい。
6月18日は父の日。旬の果物を使った手作りのお菓子、プレゼントにどうでしょう?
これほど雨の季節が似合う花はない。紫陽花の別名「ハイドランジア」は「水の容器」という意味があるそうだ。上勝町に来る途中の道沿いにも、たくさんの紫陽花が咲いている。運転中、ついつい目を奪われてしまいそうになるから注意である。
産直市でも紫陽花は人気者で、色も種類も様々な紫陽花が売り場に並べられている。いくつか購入して、店や家で飾る。そこら辺に咲いているものをとればいいんじゃないか?と思われるかもしれないが、山は自分のものじゃないから、勝手に手を出してはいけない。それがなんとなくの田舎のルール。昔勝手にとって怒られたこともあったし。“買っても良い”花を、今日も嬉々として選んで買って帰る。
花言葉参考図書:『想いを贈る 花言葉』(国吉純監修/ナツメ社刊)