美しい生活道具。古くて新しい、
「遊山箱」のある暮らし [第2回]

美しい生活道具。古くて新しい、 「遊山箱」のある暮らし [第2回]

ラシクルでは徳島の伝統工芸品のひとつ、「遊山箱」に着目しました。かつては徳島の子どもたちになじみ深いものだったようです。現在では目にする機会も少なくなった遊山箱を、再び私たちの手元に戻したい、日々の暮らしの中で活用したい。そんな願いを込めて、遊山箱をシリーズでご紹介していきます。第2回目は、25年以上ものあいだ、遊山箱を並べ続けるお店を訪ねました。



第2回
思い出の詰まった遊山箱。
遊山した人を訪ねて。


愛されて育ったことを思い出す

徳島市内にある「漆器蔵 いちかわ」。お店の看板には「遊山箱復刻の店」とあるとおり、店内には貴重な年代物の遊山箱が飾られ、オリジナルを中心に常時30~40種類もの遊山箱を販売しています。
この店を営む市川貴子さんは実際に遊山箱を抱えて遊山を経験した一人です。

▲県内外を問わず、遊山箱を探し求めて訪ねてくる人も多いのだそう。
▲ショーウインドウには遊山箱を手にした昔の子どもたちの写真も飾られています。

佐那河内村という徳島市内に近い山間部で育った市川さん。遊山の思い出をお伺いすると、柔らかな表情がより一層和らぎ、ご自身の経験を語ってくれました。

「小学校に上がる前からたぶん高学年くらいまで使っていましたよ。遊山する日は決まっていて大昔は旧暦の3月3日、地域によって違って、翌4日にするところもあったみたいだけれど、私の場合は4月3日の1日だけ」。

ういろうや寒天は1年に1度、この日だけの特別なお菓子。小豆をさらしあんにしたり、棒寒天をちぎったり……。お母さんの手伝いをすることも楽しかったと目を細めます。

「この日だけは家の手伝いも一切なくて自由。親は何にも言わなかった。友だちとれんげ畑に寝転んだり、遊山山で冒険したり。お腹が空いて遊山箱を開けたら私のために作ってくれたごちそうがいっぱい。私は親に、自然に、周りにあるものたちに愛されているんだなあということを実感できて、それはそれはうれしかったです。遊山は1年に1日だけだから全部合わせてもせいぜい5、6日程度のことでしょう。なのに、そのとき見た光景や気持ちを今だにはっきり覚えていてね、よく思い出します」。

▲市川さんにとって遊山箱は特別なもの。次々と言葉が溢れ出すほど思い出がいっぱい。


遊山する子が田の神様を連れてきた

先代から今は亡きご主人に代替わりをした1994年(平成6年)。市川さんは思い入れのあった遊山箱を復刻しようと試みますが、当時はご主人に「廃れたのには理由がある。今の時代に復刻して買ってくれる人がいるのか?」と、反対されたと言います。

それでもあきらめず、昔の遊山箱の形やデザインを参考にし、作り手を探して翌1995年にはオリジナル遊山箱の第一弾、「立田川」を完成させました。以降、大きさやデザインを変えながら遊山箱を並べ続けているうちに、雑誌やテレビ、ラジオで紹介され、店を訪れる人が増えました。遊山箱を介した多くの出会いの中で初めて知ることもあったそうです。

▲オリジナルの遊山箱の「立田川(小)」(上段左2種類)と「花丸(小)」(右2種類)。下段は昭和初期から中期にかけてのもの。

「どうして遊山の風習が廃れたのか、わかったんです。昔は田んぼが暮らしの中心にあったでしょう。お米作りは用水路の管理や水入れの当番なんかがあって、地域の共同体がしっかりしていないとできません。何かあると地域の人たちはよく寄合をして助け合っていました。遊山をする山には田の神様が住んでいて、その山で走り回り、遊山箱を広げる子どもたちについて田の神様が里に降りてきた。親たちはというと、身を清めるためにその日は家で過ごしてたんよね。そして、里に田の神様を迎えてから田起こしをした、その年の米作りが始まったという由来を学芸員さんから聞いたんです。当時はただ楽しいだけでそんなこと知らなかったけど、なるほどなあと。でも、日本列島改造計画(1972年)が言われ始めたころから生活が変わってきたんです。専業農家が減ってみんなが外へ働きに出るようになったら田んぼが中心じゃなくなった。すると、地域の共同体もバラバラになってつながりも薄れてね、いろんな行事もやらなくなって、やがて遊山の日もなくなってしまったんだろうなあ」。

遊山箱は田の神様を誘うための神具だったのかもしれない。そんなことを感じた、興味深いエピソードでした。
ちなみに、昔は稲作が始まる2月から3月にかけて田の神様を迎える風習が全国各地にあったようです。

▲およそ100年前の遊山箱。3段の深さが異なる珍しいもの。何を入れていたのでしょうか。
▲田の神様は遊山する子について山から里に降りてきたという伝承も。


好きなように使ってほしい

遊山箱を店頭に並べて四半世紀。ホームページには全国から、そして海外からも問い合わせが入ります。取材に伺ったのはひな祭りを目前に控えた頃。今でもこの時期は忙しいと注文を受けた遊山箱の発送に追われているご様子でしたが、「まだまだたいしたことありません」と笑います。

「昔のように遊山はできなくても、なんでも好きなものを入れて遊んでね、誕生日やお正月に料理を詰めて楽しく食べてねとお伝えしているんです。遊山箱をどんどん使ってもらいたい。そして思い出をたくさん作ってもらいたい。それがわたしの幸せです」。

▲「おもちゃ箱」という名前のついた、かわいらしい絵柄の遊山箱も。絵柄のオーダーもできます。

かつては誕生日やお正月よりも楽しみだったと言われた遊山の日。
鳥がさえずり、緑が芽吹き、風光る、瑞々しい春の自然。親や友だち、地域の人たちの深い愛。
遊山箱の歴史をひも解くうちに、いつの間にか過ぎた時間に身をさらわれ、まるで春の野辺に横たわっているかのような心地よさに包まれました。

<取材協力>
漆器蔵 いちかわ
TEL 088-652-6657
http://www.ichikawa-yusanbako.com

<撮影協力>
山口木工
TEL 088-642-9020


山口木工の商品は、Lacycle mallでお買い求めになれます。

ひのき遊山箱(桜柄)
遊山箱(ゆさんばこ)は徳島県独特の文化で、お出かけや雛まつりなどの特別な行事の時に、子どもたちが使う3段重ねの木製お弁当箱です。