ラシクルでは徳島の伝統工芸品のひとつ、「遊山箱」に着目しました。かつては徳島の子どもたちになじみ深いものだったようです。現在では目にする機会も少なくな…
ラシクルでは徳島の伝統工芸品のひとつ、「遊山箱」に着目しました。かつては徳島の子どもたちになじみ深いものだったようです。現在では目にする機会も少なくなった遊山箱を、再び私たちの手元に戻したい、日々の暮らしの中で活用したい。そんな願いを込めて、遊山箱をシリーズでご紹介していきます。第3回目は、見とれるほどに美しい遊山箱を作る人を訪ねました。
第3回
木工歴およそ50年。
遊山箱の匠を訪ねて
「これが木?」最上級の遊山箱
ピッカピカでツヤッツヤな遊山箱。
「ヒノキでできています」と教えてもらっても全然ピンと来ません。どこをどう見ても木目の形跡はなく、手に持ち顔を近づければ、赤い塗りに自分の顔が写ります。その見事な塗りに圧倒され、「すごい!」と驚いたのが、とても美しい遊山箱との出会いでした。
作り手は山口友市さんトキ子さんご夫妻。吉野川にほど近い田畑に囲まれた場所で「山口木工」を営んでいます。
その木工所へお邪魔したとき、再び塗りの遊山箱に顔を近づけながら、「最初見たとき、あまりにもツヤツヤだからプラスチックみたいだなって思ったんです。でも、本当にプラスチックだとこんなにきれいなツヤは出ないですよね」と失礼な発言をしてしまったのですが、「プラスチックですか?ってよく言われます。塗りがわかる人にもここまでピカピカに仕上げているものはあまりみたことがないって驚かれることもあります」と友市さんは慣れたご様子。続けて、「もともと仏壇を作っていたからいろんな木材を持っているんです。なにかと試してみることが好きなのでこれまで10種類以上の木を使って遊山箱を作ってきました」と、趣の異なる遊山箱を手にしながら説明してくれました。
仏壇づくりの職人は遊山箱づくりの名手に
友市さんは昭和31年生まれ。中学卒業後、夜学に通いながら徳島市内の会社に就職し、昭和47年、16歳のときに仏壇製造会社に転職。そこから木工職人の人生が始まりました。当時、徳島県の木工業は地場産業として発展。なかでも仏壇の生産で名を馳せていました。『ふるさと徳島』(ふるさと徳島編集委員会編/徳島市文化振興課、昭和63年)によると、「昭和60年現在、徳島県の家具出荷額は853億円で全国第11位を占め、そのうち主力の仏壇の出荷額は273億円で全国シェアの27%をおさえ、全国第1位を誇っている」とあります。また、友市さんいわく、徳島市の福島地区を中心に仏壇に携わる職場が300軒近くもあったそうです。
友市さんは仏壇づくりの職人として腕を磨き、やがて指名を受けて全国に仏壇を納品するように。そうして昭和60年2月、29歳のときに独立しました。しかし、ライフスタイルの変化などから仏壇の需要は徐々に低迷。合わせて外国産による価格崩壊も起こり始めた頃、転機が訪れたと言います。
それは「寄せ木細工」。当時、山口さんは仏壇に寄せ木細工を施していました。寄せ木細工とは20年近く自然乾燥させた紫檀や黒檀などの唐木やケヤキなどの銘木を8、9種類組み合わせることで幾通りもの模様を表現する高度な技法です。
仏壇にあしらわれた緻密な細工を見た人から寄せ木細工で楊枝立てを作ってほしいという依頼を受け製作。すると、箸置きや箸立て、小物入れなど、次々と注文が舞い込むようになりました。仏壇製造から寄せ木細工を中心とした木工品製作へと舵を切ることとなったのです。
そして、平成20年。地元の新聞連載をきっかけに遊山箱に再び注目が集まると、今はなき徳島市立木工会館の館長から遊山箱を作ってほしいと頼まれます。山口さんご夫妻はともに東祖谷の出身で、遊山箱を使った経験がなかったため(徳島西部は遊山箱の風習がなかったところが多いと言われています)、経験者に聞き取りをしながら試作を重ね、遊山箱第1号が誕生しました。
長年の仏壇づくりで培った技が生かされた遊山箱は好評。受注が途切れず、本格的にオリジナル遊山箱を作るようになりました。全国ネットのテレビでも何度か取り上げられ、取材中も県外から電話注文が入ります。「2人で作っているから一度にまとまった数が作れません。それでも何か月でも待ちますって言ってくれて、ほんまにありがたいんよなあ」と友市さんはトキ子さんと目を合わせ照れたように笑います。
「木を見て使っている」経験から生まれるもの
手に入りやすいという理由から杉で作られる遊山箱が多いなか、山口木工の遊山箱の材料はヒノキがメインです。その理由を尋ねると、「ヒノキは抗菌作用がある。それに密度があって木がやせにくい(縮みにくい)ので長もちする。あと、子どもが持っても重すぎないのもいいんよね。私のこだわりです」とのこと。
そして、いよいよ遊山箱づくりがスタート。すべてが手作業だと頭では理解していたものの、ひとつひとつの工程を目の当たりにすると、驚きの連続です。
たとえば遊山箱を組み立ていく作業。ご自身で描かれた遊山箱の図面を元に切断した板の木目を一枚一枚確認しています。その意味を問うと、「木の表裏、上下を見てるんよ」。
というのも、そもそも木には裏表があり、密度のない表側に反る性質があるのだそう。切断した板を単に合わせるわけではないのです。遊山箱が外れにくいように、壊れにくいように木の反り具合などを考慮して板に溝を入れ、サンドペーパーで削りながら溝に板がピタリと吸い付くように組み立てていました。もちろん釘は使いません。
「長年もたせようとしたら、”木の使い方”が大事。神社やお寺は何百年ももたせるような木の使い方をして建てられているでしょう? 遊山箱は何百年ということはないだろうけれどね」と笑います。こんなふうに、山口さんのこだわりがどの工程にも見られるのです。
ツヤッツヤは1日にしてならず
遊山箱は1日ではできあがりません。さらに時間も手間もかかるのが塗りの工程。その工程をざっくりと記すと、
1.ヤニ止め(塗料の変色やはがれを防ぐため)2回
2.サンディングシーラーと呼ばれる塗料での下塗り(上塗りの塗料がのりやすいように木に”肉付け”をして平らにするため)5回
3.白塗り(上塗りの塗料が色ムラなくのるように。マニキュアのベースコートのようなもの)1回
4.色塗り(紫外線にも強いエナメル塗装を使用。中の木を保護する目的もある)2回
5.トキ子さんによる絵付け
6.仕上げのウレタン塗装(水洗いができるように食品衛生法をクリアしている安全で固い塗料を重ね塗り。ツヤありとツヤ消しの2種類がある)2回
なお、それぞれの作業のたび、最低でも半日程度乾かしてからサンドペーパーでの研磨作業が入ります。だから、ヤニ止めから仕上げまで、なんと2週間ほどかかるのだそう。木地のものでもおよそ1週間。
しかもこれらは、すべての工程が順調に進んだ場合の話(!)。風が強い日はゴミやほこりが付くからダメ。雨の日や曇りの日などは湿度計をチェックし70%以上だと色が曇るからダメ。外気が10℃以下の日も塗りが乾きにくいからダメ。ダメな日が続くとその分作業は遅れます。
話を聞いているだけでも気が遠くなるほど。 途方もない作業工程を想像してはメモを取る手が度々止まります。あのツヤッツヤな塗りにはこれほどまでの……。想像をはるかに超えた遊山箱づくりの現場でした。
何十年も使える、ええもんを作りたいだけ
最後に、どうしてそこまでこだわるのかを伺いました。
「昔、壊れた遊山箱を直してほしいという依頼があったんです。その人のお母さんが使っていたという大正時代の古い遊山箱だったんですが、見てみたら木がまだ生きていた。温度や湿度で伸び縮みしているのがわかったんです。それを見て、木でいいものを作ったら大切な思い出と一緒にいつまでも残る。多少表に傷がついても木さえ傷んでなかったら修復ができるし、最後の最後には自然に帰る。だから、せっかく作るのならできるだけ長くもつものにしたいと思ってやっていることばかり。こんなに手間かけてもうけにならんなあ……って言われることもあるけれど、何十年も使える、ええもんを作りたいだけ。そうせんと自分が納得できんのです」。
「きれいやなあって喜んでもらえて、気軽に楽しく、そして長く使ってもらえれることがうれしいからね」とトキ子さんが続けます。
並大抵ではない時間と手間をかけて出来上がる美しい遊山箱。そして、その小さな遊山箱にはお二人の大きくて深い愛情、何よりも長く使ってほしいという願いが込められています。私の手元にある遊山箱も大切なあまり、つい置き物と化していましたが、もっとたくさん使いたい、楽しい思い出とともに伝えていきたい。遊山箱を作る匠を訪ねて、そんな思いを強く抱いたのでした。
山口木工
TEL 088-642-9020
山口木工の商品は、Lacycle mallでお買い求めになれます。
ひのき遊山箱(桜柄)
遊山箱(ゆさんばこ)は徳島県独特の文化で、お出かけや雛まつりなどの特別な行事の時に、子どもたちが使う3段重ねの木製お弁当箱です。