江戸から明治へと時代が動いた慶応4年(1868年)の1月、徳島藩14代藩主となった蜂須賀茂韶。西欧文明を学ぶため、明治5年(1872年)英国に留学しました。その後、東京府知事や貴族院議長、文部大臣を務める一方、渋沢栄一とともに企業設立に従事し、誕生したばかりの明治日本の国づくりに奔走したのでした。
この頃のコーヒーの味についての記述として渋沢栄一のものがあります。1867年にナポレオン三世が、パリで万国博覧会を開いた時、渋沢栄一も徳川十五代将軍慶喜の「御勘定格陸軍附調役」として随行しパリに渡りました。航海日誌に「食後カッヘーという豆を煎じたる湯を出す。砂糖・牛乳を和して之を飲む。頗る胸中を爽やかにす」と記しています。
西欧人と交際しなければならない立場と必要から、コーヒーを飲むことを受け入れ、コーヒー飲用の習慣をみにつけていったと思われます。西欧文化を吸収し明治日本の礎を築いた歴史の1ページでもあります。