目次 ファッション業界から藍染めの世界へ 伝統的な“正藍染め(しょうあいぞめ)”でウールを染める “藍が藍を呼ぶ”感覚 「天然素材」×「藍染め…
田舎町の”豊かさ”に惹かれて神山へ
青々とした山に囲まれた田園風景が広がる徳島県神山町。山合いを縫うように流れる一級河川、鮎喰川の谷間に開けた農山村です。
そんなのどかな町は、全国から誘致したIT関連企業などのサテライトオフィスが軒を連ね、クリエイティブな移住者が集まる町でもあります。デザイン会社「キネトスコープ社」も、2012年に大阪から拠点を移し、古民家にオフィスを構えた一社です。
「田舎で最先端の仕事をすることが、デザイナーとして独立した当初に掲げていた理想だったんです」という代表の廣瀬圭治(きよはる)さん。
20代の頃にはツーリングで全国各地を巡り、田舎町で人と触れ合い、自然の恵みを知る、そのような体験が、”田舎”への想いに繋がっていったと言います。自家用ボートで釣りを楽しむほどのアウトドア好きだということも重なり、山も川も楽しめる豊かな自然も決め手のひとつになって、神山町に移住してきました。
「神山しずくプロジェクト」のはじまり
「キネトスコープ社」で「神山しずくプロジェクト」が立ち上がったのは、神山町にサテライトオフィスを置いておよそ1年後のこと。間伐をした神山杉を使用し、器などのプロダクトシリーズを展開するプロジェクトです。
「きっかけは、身近な風景に感じたちょっとした違和感だった」と廣瀬さん。例えば、秋になっても紅葉しない山や、水量が減っている川。「実は、神山町の山の7割以上が杉やヒノキの人工林だと知ったんです」。
目前に広がる山が年中青々としていることは、実は”豊かさ”の象徴ではなかったことに気付いたといいます。
戦後、植林が全国的に進められていて、森林率86%の神山町でも林業が盛んに行われていました。
ところが外国からより安い木材の輸入が始まると、国産杉の価値は下落し、林業は衰退。ここ神山町でも使用目的がないまま育っていく杉が増え、手入れが行き届かない山が増えていったという問題を抱えていたのです。
針葉樹のため、紅葉もしなければ落葉もしない杉。年中青々としたその枝葉は、山の地肌への日光を遮ります。すると地表の草が育たず、本来たっぷりと雨を吸い込み保水しておく力を持っているはずの土は、次第にその力を失っていくことに。山が保水力を失うと、山から川へと流れ込む水量が減少。
そうして鮎喰川の水量は30年前と比べて約3分の1にまで減ってしまった、というのが“豊か”に見えていた風景の現実でした。
「この町の山や川を守りたい」。
そのためには、定期的に間伐をして山の保水力を上げていくことが必要ですが、たった一個人、一企業では到底立ち向かえないようなとても大きな環境問題。
それでも“自分たちにできること”を考えた廣瀬さんは、デザインの力で神山杉を再び価値化したプロダクトシリーズ「SHIZQ」を生み出し、デザインの事業と並行して「神山しずくプロジェクト」をスタートさせました。
「このひとしずくのアクションは、ひとつのきっかけ。神山杉から生まれた『SHIZQ』の商品を通して、山や水源に起こっている問題を少しでも知ってもらうことができればと思っているんです」。
デザインの力で、デメリットを“魅力”に変える
「SHIZQ」の器の一番の特徴は、”赤と白のツートーンカラー”の木目を生かしたデザインです。
杉の木目は個性が強く、杉材のデメリットだと思われていますが、製材段階での木取りを工夫することで、木目が横目になるよう加工。“美しい色目の層”として表現することに成功しました。
手に持つと、杉材特有の軽さや肌触りの柔らかさに驚きます。そして、フォルムは手にしっくりなじんで持ちやすく、口当たりも優しい。ユニバーサルデザインとしての評価も高い一品です。
神山杉の新たな魅力を引き出した「SHIZQ」の器は、2017年度グッドデザイン賞を受賞しました。
「温かいお茶を入れても冷めにくく、取っ手がなくても熱さをほとんど感じずに持っていただけるんです」。
その秘密は、杉材が持つ“空気の層”。杉材の荒い木目が天然の断熱材となって、保温・保冷効果をもたらしています。「氷を入れても溶けにくいんです」と、ショップ担当の佐坂真木子さん。季節を問わず愛用できます。
木の個性と向き合い続けるものづくり
「SHIZQ」の器づくりは、「キネトスコープ社」唯一の木工職人、藤本博久さんが担っています。
プロジェクト開始当初から「SHIZQ」の商品製作に携わっていた徳島県内の「宮竹木工所」の元で修行しました。自社木工所「しずくラボ」で、一人黙々と木工ろくろに向かいます。
「わずかな感触や音を頼りに削っていく」という藤本さん。器のサイズに合わせて手づくりした木製の治具で杉材を固定し、作業開始。足元で器用にスピードを操作しながら木工ろくろを回転させ、刃物を慎重に当てていくと、広い作業場に木の削れる音が響き渡ります。
ひと呼吸おき、砥石で刃先を整えると、また削る、の繰り返し。見ているだけでこちらも息を飲むほどの集中力です。
「杉材は割れやすい材なんです」。
この扱いにくさの原因のひとつはここでも木目。
冬目と呼ばれる茶色く濃い部分と、夏目と呼ばれる白い部分が織りなすこの特徴的な杉の木目は、季節によって成育速度が異なることから生まれます。
冬目は硬く、夏目はもろく崩れやすいことから、木工ろくろでの加工は不向きだと言われてきたのです。
さらに、杉材の中に多く含まれる空気の層が、加工途中で弾けて欠けてしまうことも。軽さや断熱効果といった器としての利点をもたらしているこの空気の層でしたが、一方で、扱いにくくさせている要因のひとつでもありました。
「木の個性が違うだけで、どの木材であっても難しさは同じ」と藤本さん。神山杉での商品づくりに丁寧に向き合う姿がありました。
最初から最後まで、自分たちの手をかける
毎年冬になると、キネトスコープ社のスタッフみんなで山へ入ります。
実は、「SHIZQ」のプロダクトを製造する神山杉を自分たちの手で伐採しているのです。「息の長いプロジェクトにするため」と、自社木工所で商品製作をするだけでなく、できる限りどの工程も自分たちで、とものづくりを進めています。
伐採とその製材に協力してくれているのは、町内で製材所を営む「金泉製材」の金泉裕幸さん。自身の山で林業を行う自伐林業家でもあります。
金泉さんが所有する山の人工林は金泉さんの曽祖父が当時価値のあった杉を「子や孫の代のために」と思って植えてくれたもの。
「伐採は必要なことだけど、むやみやたらには切りたくない。価値のあるものに使ってもらいたい」と、「神山しずくプロジェクト」の想いに賛同し、立ち上げ当初から一緒にプロジェクトに取り組んでいます。
「先日伐採してきた神山杉を製材しに行きます」と聞いて、朝早くから「金泉製材」へ。
普段は事務所で働くスタッフも、ショップで接客をするスタッフも、入社してから免許を取得したというフォークリフトですいすいと丸太を運んだり、慣れない手つきながらもチェーンソーで角材にカットしたりと、職人さながらに作業を進めていました。
木工職人、藤本さんが作成した計画図をもとに、製材機を動かす金泉さん。その隣で藤本さんが木材の状況をチェックします。
丸太を切って初めてわかる年輪の美しさに感動することもあれば、思わぬところに節や割れ目があって計画が崩れることも。計画をすぐに調整できるよう、その都度二人は打ち合わせながら慎重に製材します。
一日がかりで製材が終了すると、次の日には角材の一本一本に割れ留めを塗って倉庫へ。約2年間しっかり乾燥させて、ようやく商品加工に使えるようになるそうです。
「スタッフみんなでこれらの工程を実体験しているので、商品への想いはひとしおなんです」と、「神山しずくプロジェクト」の主任・渡邉朋美さん。ひとつの器が完成するまで、何層にも重なった想いが込められていました。
贈り物や記念品として購入されることも多い「SHIZQ」の器。「長く使ってもらいたい」という想いから、万が一商品が欠けてしまった場合には、相談の上、漆を施して接着する“金継ぎ”という方法での手直しも行っています。
たくさんの神山杉を使ったプロダクトの開発
2019年からは、神山杉のエッセンシャルオイル、リラックスミスト、除湿芳香剤という3つのプロダクトが「SHIZQ」のラインナップに加わりました。
「エッセンシャルオイル1瓶をつくるために、なんと8キロもの神山杉のチップを使うことができるんです」と、製造を担当する東條由佳さん。
「神山しずくプロジェクトの想いを、よりたくさん、そして遠くに届けられる」と、これらの商品を開発したのだそう。
自分たちで切り出した神山杉から、チップ状に加工。蒸留装置でこのチップを温めると、エッセンシャルオイルが抽出され、芳香蒸留水(リラックスミスト)が残ります。
さらに、抽出後の出がらしを乾燥させると除湿芳香剤へ。見事、神山杉を余すことなく使ったプロダクトが誕生しました。
環境に良いと思うことを、できることから
“自分たちで届ける”ことを大事にしているという「SHIZQ」の商品は、委託販売を販路のメインにはせず、予約制のギャラリーショップや展覧会、オンラインショップでの販売が中心です。
「神山しずくプロジェクト」公式オンラインショップでは、「環境に配慮して、プラスチックなどの素材はできるだけ使いたくない」との想いから、緩衝材に神山杉のおがくずを使用。段ボールを開けると、爽やかな杉の香りがふわっと漂ってきます。
このおがくず、「SHIZQ」の器の製作中に出た木くずを活用しているのだそう。「まるで神山町から山の香りまで詰め込んで届けてくれたかのよう」と、購入者の方に好評だそうです。
また、リラックスミストのボトルは、リサイクルできる仕様へと2021年にリニューアル。
器づくりで出た端材や不良品などは、冬に薪ストーブ用の燃料として活用しています。
杉を削ったあとに出る小さな木くずは、町内の養鶏所へ。鶏のベッドとして使われています。
あくまでもさりげなく、そして最後まで使い切る。
キネトスコープ社では、山のため、川のため、環境に良いと思うことを“自分たちにできること”から一つ一つ実践しています。
神山町に暮らしているからこその働き方
「せっかく神山町で暮らし、働いているのだから」と、社員のワークライフバランスにも重点を置いています。
5月には1カ月の長期休暇を設けたり、勤務時間はフレックスタイム制を導入したりと、仕事も暮らしも楽しめるような会社づくりに取り組んでいるようです。
そして2020年春から始めたのは、野菜と米のプライベート農園。
コロナ禍を機に「いざという時のセーフティーネット」について考えたという廣瀬さん。
「都会と違って水や食べ物などの山の恵みがすぐ手に届くところにある町で暮らしているのだから」と、スタッフみんなで食べ物の自給自足が目的です。「スタッフとのチームワークがよくなって、町に人たちとのコミュニケーションも生まれて、良いことづくめなんです」。
水源に想いを馳せる場所へ
そして、2021年春、キネトスコープ社の事務所からほど近いところに、「SHIZQ」のファンがゆったりくつろげるオーナーズラウンジを備えたギャラリーショップ「SHIZQ STORE」がオープン。
「SHIZQ」の商品が購入できるほか、「神山しずくプロジェクト」が始まるきっかけとなった山や川を見ながら「SHIZQ」の器でお茶を飲むことができます。
「町内には美味しい食事ができる店がたくさんあるんです。その食後にゆっくりお茶を飲みに立ち寄ってもらう場所になれば」と、廣瀬さん。この場所をきっかけに町全体を楽しんでもらいたいという想いを巡らせます。
「この山や川を守りたい」と動き出した“ひとしずく”は、プロダクトシリーズ「SHIZQ」のみに留まらず、波紋を描くようにどんどんと広がっています。
キネトスコープ
徳島県名西郡神山町神領字本上角90番地
https://shizq.jp/
SHIZQの商品は、Lacycle mallでお買い求めになれます。
SHIZQ 鶴 カップ(しずく つる カップ)
赤と白の木肌をもつ杉は、ハレの日の贈り物にピッタリ。SHIZQの器たちが大切な方のこれからの時をも守り続けます。