「世界農業遺産」で暮らす
磯貝家の春夏秋冬
[第1回]春のはじまりから梅雨が来るまで

「世界農業遺産」で暮らす 磯貝家の春夏秋冬 [第1回]春のはじまりから梅雨が来るまで

プロローグ

曲がりくねった山道をのぼった先にある、3軒の民家が残る小さな集落へ。目線の高さほどに山の稜線が広がるここは徳島県つるぎ町の三木枋(みきとち)集落。2018年に「世界農業遺産」に選ばれた「にし阿波」エリアにあります。

この地で400年以上に渡り代々農業を営んできた磯貝家は、現在、16代目の勝幸さんとハマ子さんご夫婦、そして犬のコロスケとアンコの二人と二匹暮らし。ふもとの町で暮らす息子の一幸さんも毎日山にあがってきて、一緒に農作業を行っています。ソバや雑穀など「にし阿波」ならではの食物のほか、「スーパーマーケットで売っている野菜はほとんど自分の畑でまかなえる」というほど多品目の野菜を育て、味噌やこんにゃくなどを手づくりしながら暮らしています。また、そんな自給自足的な山の暮らしを体験できる農家民宿「そらの宿 磯貝」も営んでいます。

本連載では、この土地で脈々と受け継がれてきた生活を営む磯貝家の春夏秋冬をお届けします。


【第一回】春のはじまりから梅雨が来るまで

春のはじまりは一宇赤じゃが植え

「白菜やキャベツの冬野菜の収穫が終わったあと、カヤ(*屋根材や肥料等に利用されてきた植物)と混ぜて耕しておきます。そうすると自然の有機堆肥ができて、ふかふかの土になるんです」。

一幸さんが前もって土づくりをしていた母屋の裏の畑で、じゃがいもの種植えがはじまる日。3月も半ばを過ぎ、「“遅霜(おそじも)”の心配がなくなった頃」がそのタイミングです。

▲ 傾斜のある畑のなか、かごに入れた「一宇赤じゃが」を運ぶハマ子さん。
▲ 昨年収穫した中から残しておいた「一宇赤じゃが」そのものを種として植えます。

磯貝家で育てるじゃがいもは「一宇赤じゃが」と呼ばれる小ぶりのじゃがいもで、同じつるぎ町にある一宇地区の在来種。標高400メートル近くの高地でしか育たない品種だそうです。

煮物にしたり、田楽にしたり、さらにはまるごと蒸してまんじゅうの餡にしたりしていただくのが、この地域ならではの楽しみ方。

▲ 傾斜が厳しい三木枋集落では機械化が難しい場面も多く、ほとんどの畑仕事が手作業で行われます。

一幸さんが木製の「一人引き」という昔ながらの農具を引いてできた畝(うね)にハマ子さんが等間隔に種芋を置いたあと、勝幸さんと手際よく鍬(くわ)で土をすくって種芋の上にかぶせていきます。

1時間ほど作業を進めたところで「そろそろ休憩するで」とハマ子さんが一声掛けて、おやつタイムがはじまりました。「休憩の時間は気まぐれ」と一幸さんは笑います。

▲ お手製ヨモギまんじゅうを食べてひと休み。

「この前ヨモギの新芽を採ってきたき、まんじゅうにしたんよ」。
自家製のそら豆餡入りです。

自家製きな粉でつくる飴

お茶が終わると、今度は地元のマルシェで販売する商品の準備に取り掛かります。素朴な甘さが人気の「きなこ飴」をつくります。

▲ 水飴などの材料を煮詰める理恵さん。

一幸さんの奥さん・理恵さんも手伝いにやってきました。

「数年前から手伝ってくれるようになってな。助かってるわ」とハマ子さん。「ほかにもいろいろ手仕事を教わってるんですが、お義母さんが長年の経験で判断している加減もあるので覚えるのが難しくて」と理恵さん。

▲ 自家製はったい粉をまぶして完成。

「この地域の特産品をつくろう」と30年ほど前に生活改善グループの発案で誕生したのがこの「きなこ飴」。磯貝家ならではの自家製きな粉とはったい粉(*ハダカムギを挽いて粉にしたもの)を使って「きなこ飴」をつくり続けています。

▲ 山々を見ながらひとやすみするハマ子さんとアンコちゃん。

一方、一幸さんはまた別の畑を耕していました。4月に入って、コキビやタカキビなどの雑穀の種を蒔くための準備です。

新緑、にぎやかな山の上

ウグイスの鳴き声が聞こえる5月の初旬。一宇赤じゃがの葉がすくすく育ち、大麦の穂が揺れ、夏野菜の芽がたくさん顔を出していました。

この日は茶摘みの日。
「茶摘みの時期が一番忙しい」と話すハマ子さん。新芽が柔らかい3〜4日の間に素早く摘みとる必要があるからです。

▲ 5月初旬。新緑に囲まれた磯貝家。傾斜のある畑の下から。

そんなこの日は、教育旅行の農家民泊体験で京都府の中学生4名が滞在中。もうすぐ迎えのバスがやってくるということで「早く帰りの支度しないよ!」とハマ子さんが声を掛けていて、山の上だと忘れるほどにぎやかな磯貝家です。

さらには、中学生たちと入れ替わるように、磯貝家(「そらの宿 磯貝」)に何度も宿泊しにきているという埼玉県からの常連さん等、各所からお茶摘みを体験しにお客さんが到着。なかには磯貝農園のお茶を取り扱っている大阪府の日本茶専門店の店主さんも。

「つくったけん、食べていき」とハマ子さんのお声掛けで、みんなで一緒にお昼ごはんをいただくことになりました。

▲ お昼ごはんにいただいた混ぜ寿司、三つ葉入りのお吸い物、イタドリの炒めもの、フキの佃煮。
▲ 客間から見えるなんとも雄大で気持ちの良い景色。
▲ 巣箱の様子を一日に何度も見に行くというミツバチ好きの勝幸さん。

ごはんを食べ終わると、勝幸さんが一人とことこと外へ歩いていきます。家から出てすぐのお堂に着くと、そこには勝幸さんお手製のニホンミツバチの巣箱がありました。周辺の雑穀などの蜜からできた蜂蜜は格別だそう。

斜面に生えるお茶“岸茶”

腹ごしらえをしたあと、いよいよ茶摘みがはじまりました。
勝幸さんは軽トラを走らせて少し離れた険しい薮の中にあるお茶の木に、一幸さんは体験のお客さんたちと畑の脇にあるお茶の木で、手分けして摘みはじめます。

「この地域のお茶は“岸茶”と呼ばれているんです」と一幸さん。
その由来は、崖のような斜面につくられた石垣の隙間からお茶の木が自生する様子から。はしごが必要なほど急斜面に生えたお茶の木もあるそうです。

▲ 磯貝家のお茶はほとんどが古くから自生している在来種です。
▲ お客さんに茶葉の刈り方をレクチャーする一幸さん(右)。
▲刈った茶葉の新芽を選別しているハマ子さん(左)と逢坂一恵さん(右)。一恵さんは、磯貝家が収穫などで忙しい時にはよく手伝いに来てくれるそうです。

母屋の隣から楽しそうな会話が聞こえると思ったら、ハマ子さんが理恵さんの母・逢坂一恵さんと一緒に“選別作業”をしています。刈り取った茶葉から固い枝や葉を取り除く作業です。

「ここまですべて手作業でお茶づくりをしている農家さんは全国的にも珍しいですよ」と、日本茶専門店の店主さんは感心しながら教えてくれました。

その日のうちに一時間半かけて大歩危にある製茶工場へ持っていくため、キリの良いところでお茶摘みを終えます。

▲ 磯貝家のお茶。まろやかでほんのり甘みが残る、風味豊かな煎茶です。

3日間かけて春一番の大仕事、お茶摘みが終わるとひと安心の磯貝家。
梅雨がはじまるまでは畑の雑草とりに追われるようです。

次回は、春に植えた夏野菜の収穫がはじまる頃に磯貝家を再訪します。お楽しみに。



磯貝農園(そらの宿 磯貝)
tel.090-9555-7806/0883-62-4075
徳島県美馬郡つるぎ町貞光字三木枋109
https://www.instagram.com/isogainouen/

※ 宿泊利用者は磯貝家の農作業や手仕事の体験ができますが、季節によって体験できる内容が異なります。詳細はお問い合わせください。(そらの宿 磯貝について https://nishi-awa.jp/stay/1170/